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千葉地方裁判所 昭和30年(行)13号 判決

原告 平野げん

被告 労働保険審査会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「千葉労働者災害補償保険審査会が原告のなした再審査請求に対して昭和三〇年八月一〇日付なした審査請求人の申立は認めないとの決定を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、

一、原告は亡平野貞夫の妻であるが、平野貞夫は生前高長谷建設株式会社の設計並に現場監督係として同社に勤務していたが、同社が同時に施工していた千葉市幕張町中島アパートの建築工事と船橋市における東京電力株式会社船橋営業所の新築工事の双方の現場監督に従事していたところ、昭和二九年六月二八日右中島アパートの竣工検査が行われるので、その検査に立会うため、船橋の現場から幕張町の中島アパートの現場に到り所用を済ませて再び船橋現場の工事監督のためここに赴く途中、国鉄幕張駅北側線路を横断して上りホームに到ろうとした際、折柄ばく進してきた一九時一分の下り通過列車に接触して負傷し、国立千葉病院に入院加療中、同月三〇日死亡するに至つた。

二、右の死亡は、労働者災害補償保険法にいわゆる同人の業務上の災害に因る死亡であるから、原告は市川労働基準監督署長に対して遺族補償費の支給の請求をしたが、同署長から同年一〇月一〇日右請求は業務外の災害に因るものであるからこれに応じ難いとの決定を受けたので、原告は同年一二月一八日保険審査官に対して右労働基準監督署長の決定の取消を求めて審査請求をしたところ、同審査官は昭和三〇年二月一五日右審査請求人の申立は認められない旨決定をなした。そこで、原告は更に同年四月一四日千葉労働者災害補償保険審査会に対して、右審査官のなした決定の取消を求めて再審査請求をしたが右審査会は同年八月一〇日審査請求人の申立は認めない旨の決定をなし、その決定書は同年九月一九日原告に送達された。

三、しかしながら第一項記載の如き事情で、本件災害に因る平野貞夫の死亡は業務上の死亡であり、千葉労働者災害補償保険審査会の決定は違法であるから、その取消を求めるため本訴請求に及んだ。と述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、答弁として、

一、請求原因事実中、原告が亡平野貞夫の妻であること、亡平野貞夫は生前訴外高長谷建設株式会社の設計並に現場監督係として同会社に勤務し、同会社が施工していた東京電力株式会社船橋営業所の新築工事並に右高長谷建設株式会社名義をもつて施工していた千葉市幕張町中島アパート建築工事の各現場監督に従事していたこと、同人が昭和二九年六月二八日右中島アパート建築工事の竣工検査に立会うため、船橋現場から右中島アパートの工事現場に到り、所用をすませて同所を立去り、国鉄幕張駅北側線路を横断した際、同日一九時一分の下り通過列車に接触して負傷し、国立千葉病院に入院加療中、同月三〇日死亡するに至つたこと、原告が右死亡は業務上の災害によるものであるとして、市川労働基準監督署長に対し、遺族補償費の請求をなし、同年一〇月一〇日同署長から右請求は業務外の災害によるものとして棄却の決定を受けたこと、原告が同年一二月一八日付で保険審査官に対して審査請求をしたが、同審査官もまた昭和三〇年二月一五日付でこれを棄却する旨の決定をしたこと及び原告が更に同年四月一四日付で千葉労働者災害補償保険審査会に対し再審査の請求をなし、同年八月一〇日付で右審査会もまた右申立を認めない旨の決定をなし、右決定書が同年九月一九日原告に送達されたことは認めるが、その余の事実は全部争う。

二、原告は、市川労働基準監督署長の業務外の災害とする決定を不服として、保険審査官に審査の請求をしたときは、その請求の理由として、亡平野貞夫は中島アパートの竣工検査のことを、千葉市長洲町二丁目一一四番地所在高長谷建設株式会社に復命してから船橋の鈴木鉄工所に赴き、予て注文中のホイストの催促をした後、船橋出張所(東京電力船橋営業所新築工事現場)に泊り込むつもりで千葉市に赴く途中の災害であると主張していたに拘らず、保険審査官の決定を不服として前記審査会に審査の請求をした際には、その請求の理由を全く変更して、中島アパートから直接船橋の現場に帰ろうとした途中の災害であると主張している(右保険審査官に対する申立においては線路を越えて下りホームに赴かんとしたものであるとし、審査会に対する申立においては、同駅下りホームを越えて上りホームにおいて乗車しようとしたものであると主張する。)ものであつて、如何に原告が事実を歪曲して根拠のない主張をしているかがわかる。

三、右中島アパートの建築工事については、最初に建築主中島中三から、同人知合いの大工小和田虎蔵に建築工事の見積り、設計及び施工に関して相談をなし、小和田虎蔵が高長谷建設株式会社に対し設計の依頼をしたが、その後の工事の施工は同会社の施工名義において、亡平野貞夫指導援助のもとに、大工小和田虎蔵の手によつて施工されたものである。当初平野貞夫は右工事施工者小和田虎蔵との個人的関係から、小和田虎蔵が建築士の資格を有していないので、建築許可の申請手続上、同会社社長高長谷常吉の承認を得ずに同会社の名義を行使し、自らもその工事の設計責任者としての立場において指導に従事していたものである。而して右高長谷常吉は右の事実をその後において了知したため、昭和二九年四、五月頃設計及び監督料すなわち名義料の請求をなすべきものとして金五〇、〇〇〇円の請求書を亡平野貞夫をして小和田虎蔵宛に差出さしめたが、同人は未だにこれを握りつぶしているものである。この事実から見て右中島アパート建築工事は建築許可証の名義上のみ、右会社が工事施工人となつているに過ぎないのである。

四、本件災害は次の如き情況のもとに発生したものである。すなわち、昭和二九年六月二八日右中島アパートの竣工検査があり、平野貞夫はこれに立会つてその所用をすませ、建築主中島中三方で夕食を供されたのであるがその食事中、房総西線最終列車の千葉駅発車時刻が一九時二三分であるところから、この終車に問に合わないと大変だといつて絶えずこれを気にしており、急いで中島方を立去り、君津郡大貫町(現大佐和町)の自宅に帰る目的で、右最終列車に乗るため、幕張駅北側線路を横断し、同駅下り線ホームによじ登ろうとした際、列車に触れたものである。自宅に帰る目的であつたことは、平野貞夫が中島方において船橋現場に帰るとは一言も云わなかつたこと、幕張駅の下りホームによじ登つた位置は高さ一、二〇メートルもあり、平素この位置附近のホームをよじ登る者はないこと、平野貞夫が右下りホームをよじ登るため、線路を横断しようとしたとき、危険であると制止されたにも拘らずその制止をきかなかつたこと、殊に上り線ホームに電車の到着している場合ならば格別、その時刻に上り線に到着する電車のなかつたこと及び房総西線千葉駅発最終列車に接続する電車は一九時三分幕張駅発下り電車が一本だけになつていたこと、従つて進入列車の進路直前から危険を冒してまでこのホームをよじ登る必要を認むべき特別の事情の認められない限り、同人は一九時一分幕張駅通過の下り臨時列車を右一九時三分発下り千葉行電車と錯覚して慌てて同列車に乗ろうとしたものと思料されることによつて認められる。

従つて、右災害は業務外の災害によるものであるから前記審査会の決定は相当であつて、原告の本訴請求は失当である。と述べた。(立証省略)

理由

訴外高長谷建設株式会社に設計並に現場監督係として勤務していた原告の夫平野貞夫は、昭和二九年六月二八日国鉄幕張駅において、同駅北側線路を横断した際、一九時一分同駅通過の下り列車に接触して負傷し、因つて同月三〇日死亡するに至つたこと、原告は右平野貞夫の死亡は労働者災害補償保険法にいわゆる業務上の災害に因るものであるとして市川労働基準監督署長に対して遺族補償費支給の請求をしたが、同署長は業務外の災害と認定して不支給の決定をなしたこと、原告は右決定の取消を求めるため保険審査官に対し審査請求をしたが棄却せられたので、更に右審査官のなした決定の取消を求めるべく千葉労働者災害補償保険審査会に対して再審査の請求をしたところ、右審査会は昭和三〇年八月一〇日原告の申立は認めない旨の決定をなし、その決定書は同年九月一九日原告に送達されたことは当事者間に争がない。

原告は右平野貞夫の死亡は業務上の災害に因るものであるのに、右審査会が業務外の災害に因るものと認定したのは違法であると主張するので、右は果して業務上の災害かどうかについて考えてみるに、当時平野貞夫は前記高長谷建設株式会社の施工していた東京電力株式会社船橋営業所の新築工事並に千葉市幕張町の中島アパート建築工事(この工事の施工者が高長谷建設株式会社であつたかどうかについては争があるが、少くとも工事施工名義人が右会社であつたことについては争がない)の各現場監督に従事していたこと、事故当日、平野貞夫は右中島アパートの竣工検査に立会うため、船橋市の右東京電力株式会社船橋営業所工事現場から中島アパートの工事現場に到り、所用をすませて同所を立去り国鉄幕張駅に赴いた際、前記災害に遭つたものであることについては当事者間に争がない。そして、成立に争のない乙第七号証、同第一五号証、証人中島中三、同石田耕作、同五十嵐誠二(但し後記措信しない部分を除く)の各証言を総合すれば、平野貞夫は右竣工検査の終了後中島アパートの建築主中島中三方に於て夕食を供されたが、その際「時間がない」「終車に間に合わない」などと云つて時間を気にしていたこと、同席していた五十嵐誠二に対し「汽車の都合があるからお先に失礼します」と述べて、午後七時五分前頃前右中島方を立去つたものであることが認められるし、また成立に争のない乙第二号証及び第一〇号証によれば、平野貞夫は前記一九時一分幕張駅通過の列車が同駅に進入する直前、同駅北側の畑を横切り、更に線路を横断して下り線ホームによじ登ろうとした際に、右列車に接触したこと、同駅発一九時四分千葉行下り電車は千葉駅発一九時二三分館山行最終列車に連結していたことが認められ、更に原告本人平野げんの供述により平野貞夫が自宅に帰るのには房総西線大貫駅にて下車するのであることが認められ、これ等の事実を総合して考えれば、平野貞夫は中島中三方を辞して、幕張駅一九時四分発の下り電車に乗車して自宅に帰るべく同駅に向つたが、前記通過列車の進行してくるのを目撃して、これを下り電車と見誤り、急遽線路を横断し、ホームによじ登ろうとしたものであると認めるのが相当であり、証人高長谷常吉、同五十嵐誠二、原告本人平野げんの各供述中右認定に反する部分はたやすく措信できずその他右認定を動かすに足る証拠はない。

結局、平野貞夫は中島アパートの竣工検査に立会つて帰宅の途次本件の災害に遭遇したものと認めるの外ないから、本件災害を業務上の災害と認めることはできない。

そうすれば、千葉労働者災害補償審査会が平野貞夫の死亡は業務外の災害に因るものであると認定して、原告の再審査の請求を退けたことには何等の違法はなく、右決定の取消を求める原告の本訴請求は失当と云わなければならない。

よつて、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 内田初太郎 山崎宏八 桜林三郎)

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